高鍋町>高鍋大師>いわおかやすきち

岩岡保吉翁(いわおかやすきち)

  • 明治22年香川県に生まれ、7才で高鍋に移住し、その後母親を亡くす。
  • 小学校を卒業後、文房具店に奉公し、リヤカーで出張販売をしたり、秋月医院の車夫として住み込みで働いた。
  • 19才で米穀販売を営み、商売は繁盛した。
  • 29才で四国八十八カ所巡礼に出かけ、40才で八十八カ所の建設を決心し、43才で現在の場所に持田東光寺に土地を買い、整地し、建設準備にあたるとともに、大分より石工仏師丸山又三氏を招き、小丸川に製作所を設け、石仏の制作に励み、本人も彫刻技術を学んだ。
  • 翌年には、88体の石仏を完成させ安置し、現在の東光寺八十八カ所となる。
  • その後も、持田古墳85基の霊の供養や戦没者の慰霊も併せ、町民の安全祈願を行い、高野山真言宗の得とであるが、型にはまらない自由な考えで生涯大小各種700余体を超える石仏を制作した。
  • 大師堂は、地域住民の理解や協力を受けながら、親睦慰安の場として、子供たちと高齢者と交流の場となる。
  • 昭和52年満87才でなくなった。
岩岡保吉翁(いわおかやすきち)
岩岡保吉翁(いわおかやすきち)